サモア派遣プログラム概要


8月11日(金) 設楽町長に出発の挨拶

   

 サモア派遣出発の挨拶のため、田口高校校長とともに設楽町役場を訪問し、設楽町長とお会いした。町長から校長へ派遣依頼書を手渡していただいた後、30分程度懇談をした。生徒からは一人一人、今回の派遣に対する抱負をお伝えした。町長は、ユーモアを交えながら暖かく激励して下さった。


8月14日(月) 出発当日・外務省訪問

   

・東京へ
 午前10時前に本長篠駅に集合し、豊橋へ。新幹線に乗り換え、東京に向かう。車中にて、各訪問先での代表挨拶と記録をする日の分担を決めた。東京駅では、国際フレンドシップ協会(以下、IFA)の方がホームに出迎えて、外務省まで案内してくださった。

・外務省で
 外務省に到着。外務省ロビーにてIFA会長と合流した。しばらくして職員の方に案内されて、外務省担当官の方々と対面し、ブリーフィングを行った。今回のプログラムの目的をしっかりと確認し、自分と異なる価値観を受け止めて常に学ぶ姿勢を忘れないように、とのお話を頂いた。


・成田空港へ
 外務省を出発し、成田空港へ。ここからは外務省の方が同行してくださった。
 空港に到着すると、前もって配送してあったスーツケースを受け取り、着替えを済ませチェックイン。出国審査を経て出発ロビーへ移動。飛行機は午後7時に予定通り離陸し、一路フィジーへと向かう。

8月15日(火) フィジー 〜 サモア到着

   

・フィジー見学
 空路を9時間弱かかって、フィジーの朝7時ごろナンディ空港に到着。日本との時差は+3時間。日本人ガイドの方が出迎えてくださり、車2台に分乗して市内へ出発。広大なサトウキビ畑を横目に、港湾施設、サトウキビ生成工場などを巡り、フィジー第2の街ラウトカに到着。早速、地元のマーケットに入ると、珍しい野菜や果物が次々と目に入ってきた。フィジーの人口の半数近くはインド人だそうで、マーケットで試食したスィーツもインドのお菓子であった。
 次に、小さな村を訪れた。ここでフィジー伝統のロボ料理を見学、試食した。ロボ料理とは、焼いた石の上に食材を載せ、さらにバナナの葉などを上に載せて蒸し焼きにする料理である。試食の後、「カバ(客をもてなす際の伝統的な飲み物)の儀式」を体験し、村の人々と楽しく歌い、踊った。また、椰子の皮を使ったヘアバンド作りも体験した。
 ナンディに戻る途中で、日本のODAで建設されたフィジー気象台に立ち寄った。ここでは、日本からシニアボランティアで来ている方が館内を案内してくださった。
 ナンディに戻り、夕食の後、空港へ。午後10時25分、いよいよサモアに向かう。


・とうとうサモアにやって来た
 ナンディ空港から1時間40分のフライトで、サモア・アピア空港に到着したのは、時計が戻って同日の午前1時5分。日付変更線を超えたためである。日本との時差は、−20時間。空港には、ホテル・キタノと旅行会社パシフィック・インターナショナルの方、さらには現地企業ヤザキ・サモアにお勤めの田口高校OBの方も出迎えてくださった。ホテルに移動し、荷物を整理してようやく就寝。


・外交貿易省表敬訪問
 翌朝12時にホテルのロビー集合。朝食後、外交貿易省を表敬訪問し、副大臣と会見した。非常に暖かく歓迎してくださり、我々からの質問にも丁寧に応対してくださった。


        

・ホストファミリーとの初対面
 教育大臣との会見は18日に延期となったため、担当者にお土産をお渡しして早々に退室し、ホテルに戻った。
 この後、ホストファミリーとの初めての対面をする。会った途端にまるで旧知の仲であるような様子。サモアの高校生の雰囲気がとても良かったからだろう。もともと、人を暖かく受け入れる文化的土壌があるのかもしれない。日本人がどこかに忘れてきた心に、遠くサモアの地で出会った気がした。 


8月16日(水) アベルカレッジ訪問


    

・アベレ・カレッジで朝の集会に出席
 アベレ・カレッジでは朝を歌で迎える。非常に良く響き渡る。美しい歌声に驚き、また、生徒のリーダーが指揮を執り、全体をよくまとめていたことにも感心した。
 替わって、こちらの番となる。事前に準備した写真等を使い、日本のこと、設楽町のこと、田口高校のことを紹介した。最後に書道の実演を行った。サモアの生徒達の名前を聞いて、それをひらがなで書いてあげたりした。たいそう喜ばれたようで、その後の授業参観でも、ずいぶんたくさんのサモアの生徒達から、名前を日本語で書いてくれと頼まれたようである。


・老人ホームとスティーブンソン博物館見学
 次に向かったのは、近くにある老人ホーム。一緒に行ったサモアの生徒によると、入所や生活にかかる費用は無料だそうだ。教会が母体となっているようで、海の見える丘にあり草花に満ちた美しい場所であった。
 続いてスティーブンソン博物館を見学。「宝島」の著者として有名なスティーブンソンは、サモアでその生涯を閉じた。その彼が生前に家族と暮らした邸宅が、博物館として一般に公開されている。海を見下ろす山の頂にある洋館はとても広く、明るい雰囲気であった。


・サモア国家元首邸を表敬訪問
 なんとサモア国家元首である、マリエトア・タヌマフィリ II世にお会いできた。アベレ・カレッジの校長先生のお父様とはご学友であるとのこと。サモアの人でもなかなかお会いする機会がないそうで、後からサモアの紙幣にそのお顔が印刷されているのを見て、本当に驚いた。サモアと日本の高校生の訪問を心から喜んで下さり、終始笑顔で接してくださった。直接話ができることも稀だそうだが、手を取ってご挨拶させていただいた。

●平成19年5月12日(サモア時間11日)に、マリエトア・タヌマフィリU世国家元首が、首都アピアにてご逝去されました。享年95歳。謁見させていただいた時の笑顔が昨日のように思い出されます。ここに、謹んでお悔やみ申し上げます。

8月17日(木) 日本からの援助の実際を見学


    

・JICA訪問
 この日は、JICAをはじめ、青年海外協力隊やシニアボランティアとして実際にサモアで活動している方々を訪ね、日本が具体的にどのような支援を行っているのかを学んだ。
 まずはJICA事務所を訪問。日本の、サモアに対する援助の概要について説明を受けた。事前に学習はしていたが、やはり現場で働く方々からの情報はより具体的であった。ここで生徒は、日本からの支援を身近に感じることができたようだ。
 次にJICAの方々と共に、サモア環境省で広報活動に携わるJOCVの赤崎さんを訪問。サモアの環境問題を切り口に、さまざまな問いかけをしてしてくださり、改めて環境について考えるよい機会となった。
 続いて訪れた職業訓練校ドン・ボスコでは、シニアボランティアとして自動車整備を教えている方にお会いした。ここでは、普段外部の人々に余り披露しない生徒260余名による大迫力のサモアダンスを見せていただいた。

・ヤザキ・サモア工場見学
 次に、日本の自動車部品製造工場「ヤザキ・サモア」を訪問した。ヤザキは設楽町にも工場があり、田口高校のOBの方もみえる会社である。
工場に着くと、従業員の皆さんが歌とダンスで歓迎して下さった。事業の概要について説明を受けたあと、サモア到着時に出迎えて下さった田口高校OBの方が工場内を案内してくださった。かなり大規模な工場で、この企業がサモア経済を支えているものの1つだ、という話に納得した。


   

・福岡式ごみ埋立処理場見学
 最後に訪れたのが、事前学習でも学んだ福岡式ごみ埋立処理場。サモアにおけるゴミ処理の中心施設である。ここでも日本からシニアボランティアで来ている方が見え、その方の案内でゴミ処理施設を見学した。この施設の責任者は日本で技術研修を受けたサモアの方であった。現在、彼を中心にサモアのごみ処理問題がよりよい方向へと進んでいることを知り、人材を育成する援助がいかに重要であるかが確認できた。


・パシフィック・インターナショナル
 今回の各訪問先への連絡や交渉をはじめ、サモア国内での移動でお世話になった、旅行会社パシフィック・インターナショナルを訪問した。サモアの男性と結婚され20年間サモアにいらっしゃる方とお会いし、サモアに来た当初のアピアの様子やサモアでの暮らしについてお話を聞くことができた。


・海辺でウム料理を食す
 アベレ・カレッジの校長先生が、美しい海辺にサモア伝統の蒸し料理ウムを用意してくださった。校長先生の指示で、ステイ先の高校生が中心に準備をしてくれたようだ。こんな美しい場所でとてもおいしい食事をいただき、実に幸せなひとときを過ごすことができた。
 しかし、ここで問題が一つ。ステイ先で過ごす最後の夜ということもあり、ステイ先に帰るとどの家庭にもさらにおいしい夕食が待っていたのだ。つまり、先ほどのウム料理はおやつ。皆の体重が増えたのは、まず間違いなさそうである。

8月18日(金) 別れの日

   

・教育・スポーツ・文化省を訪問
 いよいよサモア最終日。朝9時にホテル・キタノに集合。ホストファミリーが皆を送り届けてくれた。ステイ中には、本当に申し訳ないほど面倒を見ていただいた。「これがサモア流で、当たり前なのだ。」というのがいつもの返事。皆、心より感謝している。
 最後の訪問先である教育・スポーツ・文化省に到着。大臣室に通され、お茶とお菓子をいただきながらお話を伺った。
 教育・スポーツ・文化省を後にして、アピア市内を見学。国会議事堂を見学後、中華料理店で昼食を摂り、ホテルに戻った。


    

・お別れパーティー
 夜7時過ぎ、お別れパーティーが始まった。生徒は浴衣や甚平を着て登場。ホストファミリーをはじめ教育省やJICAなど、今回訪問した先の方々もご出席くださった。
 同行した外務省の方が挨拶をしてから、食事をしながらの歓談。その後、日本の文化紹介を行った。日本の歌を披露し、サモアの生徒達とともに踊った。次に、サモアの生徒達が浴衣や甚平に着替えて登場すると、会場は再び華やいだ雰囲気になった。
 そしていよいよ最後の挨拶の時。生徒達が並んで、一人一人英語で感謝の気持ちをのべた。最後の一人が話し終わると、校長先生のスピーチ。続いてサモアの歌が始まり、それに合わせてみんなで踊った。とても美しい光景であった。
 最後のダンスが終わり、パーティーが終わろうとしていたその時、ステイ先の生徒の父母が泣き出し、日本の生徒と抱き合い始めた。そして涙はその生徒へ、さらには周りの人々へと広がっていった。特に、ホストファミリーと日本の生徒たちは心から別れを惜しんでいた。

8月19日(土)20日(日) 再びフィジーへ

    

・再びアピア空港へ
 サモアを離れる時が来た。19日午前3時に、再びアピア空港に到着。驚いたことに、先ほど別れた校長先生とステイ先の生徒たちが見送りに来てくれていた。出発ロビーに歩みを進める間、姿が見えなくなるまでお互いに手を振り合う。本当に名残は尽きない。サモアでの思い出を胸に飛行機に乗り込み、午前5時35分、再びフィジーへと向かった。


   

・フィジーにて
 2時間ほどでナンディ空港に到着。日付変更線を越えたので20日午前6時35分であった。来たときに案内していただいたガイドさんが再び出迎えてくださった。翌日のフライトまでフィジー見学である。
 まずはモミ砲台とシガトガ砂丘を見学。モミ砲台は、第2次大戦中に日本軍を迎え撃つために設置されたものだが結果的には使われることはなく、今は美しい景色を眺めることができる観光地となっている。
 移動中の車窓からは海岸に植えられたマングローブが見えた。日本の協力隊が植樹したものだそうで、フィジー人ドライバー氏もこの植林に参加したとのこと。
 昼食は、インド人のお宅にお邪魔して、インドの家庭料理を味わった。台所に入れて頂き、料理の体験もさせていただいた。食後はつかの間の海水浴。南半球は冬の時期のため、外気は冷たく少し寒かったが、海は温かく、熱帯魚が行き来するのが見えるほどきれいだった。
 ホテルに戻り、夕食はホテルのレストランで済ませた。翌朝はいよいよ帰国。皆、少し気が抜けた様子。さすがに疲れが出ているようだ。

8月21日(月) 日本に帰国

   

・成田空港へ、そして愛知へ
 8月21日朝、フィジー・ナンディ国際空港に到着。ここで、現地でお世話になったガイドさんとお別れ。
 飛行機は午前10時50分、定刻通り離陸した。眼下にはフィジーの美しい島々が見える。機内では、食事の時以外はほとんど眠っていた様子。9時間ほどのフライトの後、午後5時ごろ成田空港に到着した。
 成田空港では、外務省の方ともお別れ。一緒に旅をする中で折に触れていろいろな話をしていただき、申し訳ないほど親しくなっていた。
 成田エクスプレスに乗車し、東京駅に到着。ここで、IFA会長ともお別れ。「会長さん、会長さん」と、すっかり親しまれていた。今回の旅の旅程を管理してくださり、見えないところで細かくご配慮くださった。
 東京駅で夕食を購入して新幹線へ。デジカメの写真を見ながら思い出話をしている間に浜松着。在来線に乗り換えて豊橋駅を経由し、午後11時過ぎに本長篠駅に無事到着。保護者の方や田口高校の先生方が出迎えてくれた。

8月25日(金) 設楽町長に帰国の報告

 田口高校教頭と午後、設楽町役場を訪問し、設楽町長に帰国のあいさつと研修の報告をした。
 町長からは一人一人に研修の様子や感想を尋ねてくださり、生徒も生き生きとした表情で、それぞれの体験や感想をお伝えした。

サモア派遣を通しての所感

 今回の派遣は、またとない貴重な体験となった。
 サモアで、日本とは全く異なる価値観や文化、生活習慣を体験することは、自分自身の存在を客観的に見直すだけでなく、自分が否応なく日本人である日本人であることを再認識することにもなり、日本文化を土台とした自身のアイデンティティを確立するきっかけとなる。また、普段接することのない発展途上国援助をはじめ、様々な分野で働く人々との出会いは、自分の進路を考える上で示唆に富んだものであったと思う。言葉の問題や生活習慣の違いから、多少辛い思いをする場面もあったようだが、こうしたことも成長の糧としていけるのが高校生の特権ではないだろうか。
 今回お世話になったサモアの高校生とさらに交流を深め、できることなら生涯変わることなく連絡を取り合い、お互いにサモアと日本を結ぶ存在となっていければ素晴らしいと思う。ともあれ、相手のことを大切に思う気持ちが、この海を越えた友情を人生の宝物にしてくれるだろう。
 最後に、IFA・外務省のスタッフの皆さん、そしてサモアでお世話になったステイ先のご家族や、アベレ・カレッジの校長先生をはじめ教職員と生徒の皆さん、またサモアで出会った日本の援助機関や企業の皆さんに、さまざまな形で助けていただきながら、8日間の交流事業を終えることができたことに、心より感謝申し上げ、サモア派遣プログラム概要の報告を終えたい。

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